莨屋旅館

龍馬が三度目に福井を訪れたのが慶応3(1867)年10月終わりのこと。
京都から松平春嶽宛ての書簡を届けるために福井行きを命令されたためでした。
10月28日に龍馬は岡本健三郎らと福井に到着。

この時に龍馬が宿泊したのが莨屋(たばこや)旅館。

龍馬は春嶽を訪ねた後に由利公正(当時は三岡八郎)と会合を持っています。
当時、由利は長州征伐に対して両派の提携を画策したものの失脚、謹慎処分中の身の上。

それでも由利は藩の許しを得て、龍馬が滞在していたこの莨屋旅館を訪ね、延々16時間にも渡って新政府について議論したといいます。この日は11月2日。翌3日には、福井を発ち京都へと戻ります。京都に着くのは5日のことです。由利との会合のあと、龍馬は船中八策をもとにした新政府綱領を書き上げます。

この莨屋旅館での会談を裏付ける貴重な資料が、2014年のNHKの番組のロケをきっかけに発見され話題になりました。見つかった書簡は、土佐藩の後藤象二郎に宛てた「越行の記」の草稿。そこには、福井で由利との会談の詳細も記されていて、この莨屋旅館での会合を裏付ける貴重な資料の発見でした。

そして、福井から京都に戻ってわずか10日後の11月15日、近江屋で龍馬は暗殺されます。

後に創作されたものかもしれませんが、龍馬暗殺の当日、由利が足羽川の堤防を歩いていたときに懐にあった龍馬からの手紙がふいに落下。まさにこの時龍馬が襲われ、由利には龍馬からの虫の知らせがあったという逸話が伝えられています。

現在はこの龍馬と由利が語り明かした莨屋旅館の跡地に碑が残っています。

莨屋旅館
莨屋旅館跡地に残る碑。碑は駐車場脇に建てられています。旅館は駐車場横の仕出し店として引き継がれています。


莨屋旅館
山町について解説されたプレート。この地は旧名で山町と呼ばれていました。

莨屋旅館
龍馬はこの辺りを下駄を鳴らして闊歩したのでしょうか。旅館は、明治35年の大火で焼失し、写真奥に看板が見える仕出し店(※)として引き継がれています。要予約で龍馬弁当も味わえるとか。
※懐石料理仕出し 与志多 福井市照手1丁目14-4













posted by りょうま at 16:38 | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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